アイアンマン・世界選手権チャンピオン Cat Morrison に訊く、自身が描くセカンドライフについて
レースの開催も少ない今年、自身もプロトライアスリートである Sarah Piampiano はサイクリストやトライアスリートの引退後の人生について取材する活動に力を入れています。
レーサーとしてのキャリアを終えた彼・彼女らが次にどのような道を選び歩んでゆくのか。 今回Sarahがインタビューするのは、アイアンマンで2回、デュアスロン世界選手権で4回のチャンピオンに輝いた Cat(Catriona) Morrison。
突然の引退を決めた背景や、過去を振り返ることなく人生の次のステージへと挑戦を続ける彼女の姿をリポートします。

プロとしての15年のキャリアを通じ、Catは2度のアイアンマンタイトルをはじめデュアスロン世界選手権優勝4回、ヨーロッパデュアスロン選手権優勝2回を獲得。加えて2002年と2006年には英連邦競技大会の代表に選ばれました。
2015年、彼女は突然レースの舞台を去ることを決めます。
ある日のトレーニングの最中、「もうこれ以上はできない、やり切ったのだ」と感じる瞬間があったのだと言います。
どのようなスポーツを経験してきましたか? トライアスロンを始めたきっかけは?
トライアスロンはカナダの大学院で修士課程を履修している時に始めました。
子供の頃は水泳をやっていて中学後半から大学にかけてはランニングをしていましたが、ケガで手術をすることになってリハビリのためにバイクを取り入れたクロストレーニングを始めたんです。
医師に手術後10週間経てばまた走ることができると言われて、だったらトライアスロンに出てみようと。 ラン区間ではアドバイスに従い1分走って1分歩くを繰り返したのですが結果的に2位に入ることができて、もっとレースに出てみたいと思うようになりました。

現在はどのような仕事・生活をしていますか?
金融の世界で言う「ポートフォリオアプローチ」のような感じなのかも知れませんね。 つまり色々なものの組み合わせなんです。 最近引退したアスリートにとっては極々普通の行動だと思いますが、様々な物事に接する機会を通じて自分の新たな「居場所」を見つけ出そうとしています。
まず、エディンバラ北部にある社会的企業のビジネスデベロップメントマネージャーとしてスポーツを通じて地域社会をより良い方向に導く活動をしています。
サッカー施設を運営したり、助成金の活用、寄付を募るといった業務をしながら、健康や福祉、教育、若者の事業プログラム等々で社会を改善していくべく様々な試みを行っています(www.spartanscfa.com)。
私の主な任務としてはスポーツの分野での労働力開発で、世の中においてスポーツをどのような形で役立て社会的影響を与えることができるかについて、多様な議論や研究を進めています。
同時に、組織や個人と連携し、社会的企業の持続可能性を高めるための研究のまとめ役のような仕事もしています。 私は女性向けのスポーツウェアブランドの役員として、少女や若い女性でも無理なく買うことのできる高品質なウェアの普及に向けて活動しています(everactiv.com)。
あと、これはボランティア的ではありますが、スポーツに力を入れていることで有名なスターリング大学(www.stir.ac.uk)で、次の英連邦競技会に向けてのスコットランドトライアスロンチームのチームマネージャーに任命されています。
これ以外には、地元のコミュニティグループでの活動でしょうかね。 最近は子供達のためにパンプトラックを造ったりトレイルを整備したりしていますが、こういう肉体労働は好きなので楽しいですよ。 もっとも担当のドクターは体を酷使するのにあまりいい顔はしませんけどね(笑)。

あなたにとってスポーツとは? アイデンティティに大きな影響を与えたと思いますか?
プロアスリートにとってはスポーツは生活そのものと言えるのかもしれません。 寝たり食べたり、更に言えば息をするのと同じようなものです。
自分の決めた道を進む情熱とそれで食べていく決意。 選ぶのは自由ですが、そこには「OFF」ボタンはありません。
やったことは全て自分の精神と肉体に跳ね返ってきます。
競技での結果はハードワークに対する報いであり、多くの人にとってそれは自分自身との対話、自身を認めるための方法になります。
ただ、アスリートとして私は葛藤を抱えていました。
社会においてアスリートであることの意義や関連性を見出すのが難しかったのです。
結局それは利己的、自分中心的な存在に過ぎないのではないかと。
トライアスロンの世界にいる間も、スコットランドでの生活を基盤としてパートタイムで仕事をして自身のバランスを取るようにしていました。
たとえピークを持ってくるためのトレーニングの最中であっても週に1日は働いていたんです。
スポーツを通じて若い世代を育成する慈善事業に関わっていましたが、それが自身の存在意義だったりトレーニングやレース以外の人生の価値を見出す助けになっていたのだと思います。

引退を表明する際には長い時間考えましたか?
実は自分の中ではすぐに決まったんです。
1月のある日、私はガレージでローラー台に乗ってトレーニングをしていました。 薄暗く寒い日でいまいち気分も乗らず、そんな中自分にこう問いかけてみたのです。
「あなたは何のためにこれをやっているの?」
答えはすぐに出てきませんでした。
それではっきりしたんです、もう終わりにする時だって。
私は家に戻り、夫に引退の意思を伝えました。 もっとも、私がそんなに早くトレーニングを切り上げてきた時点で彼は全てを察していたみたいです。
そのまま何も言わずに抱きしめてくれました。
引退に際しての心境はどうでしたか?
ホッとして、悲しくて嬉しくて、でも満足していて。
そうですね、色々な感情が多少の不安と共にミックスされていました。
ただ、正しい決断はできたと思っています。 トレーニングやレースを続けるだけの体力的、精神的な能力はまだありましたが、パッションがそこにはもう無かったんです。
限界を迎えるまで現役を続けたり、あるいは大きなケガや故障をきっかけに引退するといった選択肢もあるのでしょうが、私は次のステージに向けて動く方が自分に合っていると考えました。
アスリートとしてのアイデンティティを失うことへの不安はありましたか?
当時は特にそうした感情はありませんでした。
引退直後からいくつか新しいことを始めていましたから。 それにちょっとした大会には参加したりしていました。
プロ時代とは比べ物にならないパフォーマンスで出場することはちょっと不本意ではありましたけどね。
ただ、初めて会う人達に「元プロアスリート」と言うと、まるで全く違う生活を送ってきた未知の存在かのような感覚を持たれるのには違和感がありますね。
あと、いつまでも強く速い存在でありたいとは思いますが、さすがにそういう訳にはいきません。
今では年齢を重ねることによる衰えは自然なこととして受け入れ「今でもまだまだできる」なんてことは言わなくなりました。 最近では室内トレーナーを使ってオンラインで参加できるレースなんかもありますし、自分なりに満足できるエリアでの活躍を目指せばいいんです。
そこにまだアイデンティティは残っています。 最速のおばあさんになる挑戦をしますよ(笑)。
多くのアスリートは引退の際に精神的な落ち込みを感じると聞きますが、それはありませんでしたか?
それは無かったですね。
そんなことを考える暇も無いくらい忙しくなりましたしね。 元々やっていたチャリティー関連の仕事もますます増えましたし、週に3日働いて2日は運動と今後の計画を立てるのに使っていました。 バランスは取れていたと思います。
競技から離れトレーニングが減ったことについてはどのように感じ、どう対処しましたか?
5年経った今でもすごく対処が難しいのがこれです。
他に色々とやることがあるにも関わらず、最低1日2回は運動をしないと落ち着かないんです。 夫からもしばしば指摘されますね。
身に付いてしまった習慣でもあり、いつまでも鍛えられた体でいたいという願望の表れなのかも知れません。
レースに出るのは今でも好きでトレイルランニングを始めました。
マウンテンバイクのレースにもたまに出ています。 肉体的に自分を追い込むのが好きで他のスポーツにもそうした要素を求めてしまいますね。
スキーを習い始めたんですが、クロスカントリースキーで山を登るのが好きなんです。 ゲレンデを滑り降りたいのに(笑)。
引退した時点で次に何をするかは決まっていたのですか?
プランは決まっていなかったのですが、幸いにも半年間のオファーを貰ったのです。
引退する1年前にスコットランドの企業に起業家として学ぶプログラムへの参加を打診されていたのですが、再度連絡を取りこの機会を活かすことにしました。
6ヶ月後、ミニMBAと呼ばれるプログラムを使いボストン、サンフランシスコ、上海に赴き経験を積みました。 色々な意味でこのことがその後の生活に大きな影響を及ぼしたと思います。 突然スポーツの世界とは全く異なる様々なバックグラウンドを持つ生徒達の中に交じることとなり、とにかく全力で学びました。 講義や予習で毎日朝6時から夜11時まで。 スポーツのトレーニングとは違う形で完全にヘトヘトになるくらいでした。
もし1日45分でもジムで運動できたなら良かったのかもしれませんね(笑)。
次に何をするかはどのように決まったのですか?
6ヶ月間のミニMBAコースでスポーツを基礎とする社会的企業を立ち上げた後、そこでのパートタイムの仕事をオファーされ今も同じ組織に携わっています。
週3日はそこで働き、それ以外の時間を使ってウェアビジネス、慈善活動、あるいは諸々のまとめ役として等の活動を含む色々なことに挑戦しています。
次なる生き方に向けてのタイムラインは何か定めていますか?
タイムラインは決めていないんです。
次々とやってくる機会に飛び乗るような感じで今まで来ましたが、恵まれていた一方でより深く関わるべきものを見つけるべきだと感じていました。
他に言うならば、よりチャレンジングな道を探そうと思っています。
アスリートは元々行動力があるタイプが多いですから、それが発揮できないような舞台には満足できないのかも知れませんね。

振り返って後悔していたり、もっとこうしていればと思うことはありますか?
人生の転機にある人達に何かアドバイスするとしたらどんなことですか?
- 取引だけではない関係性を築くこと。 いつどこで縁が繋がるかわからないのだから。
- 興味のある分野や恩返ししたい物事に対して奉仕活動をすること。
- 自分自身をいたわって。 アスリートとしての辛く厳しい生活を終えたなら、次はリラックスする時間。 それを後ろめたく思う必要は無いはず。
- 生きることはスプリントレースではなくマラソン。 物事が移り変わるのには時間が掛かるものだし、習慣や癖には変えられないものもある。 そういったことも含めて学びながらうまくやっていくことができるはず。